日台黒潮泳断チャレンジ(2011年)
[台風接近により荒れた海と泳者] |
東日本大震災は、日本に大きな被害をもたらしました。私たちアースリーソウルも、日本のNPOとして何かできないかと貢献の方法を考えていました。
一方で世界からの日本へのさまざまな形の支援は記憶に新しいところです。傷ついた私たちの心に、どれほど心強かったことでしょうか。中でも、義援金の額は大きく、その中でも台湾からの200億円という金額は、群を抜いて世界一でした。
そこで、「日本から台湾まで泳いで感謝の気持ちを伝える」という方法を考えました。岩手、宮城、福島の被災3県の知事の感謝状を持って、オーシャンスイマーが渡りきる。
その泳断距離は日本最西端の与那国島から130km(上図参照)。これまで、大島〜湘南60km泳断は成功させてはいたものの、その倍以上の距離を、しかも黒潮の強い流れの中、本物の海洋横断の危険を冒してまで、国をまたぐ難しさを抱えて、果たして完泳でき、かつ、プロジェクトを完成できるのか?
計画概要は立てられたものの、準備は難航を極めました。そもそも、海洋の本物の危険を冒して泳断できるスイマーはいるのか。趣旨に賛同してくれて、サポートしてくれる船は、船長はいるのか。同行できるスタッフはどうか。活動資金は集まるのか。現地台湾の受け入れは可能なのか。誰がどう調整するのか。どこへ泳ぎ着けばいいのか。本番はいつか。天候は大丈夫か。どんなリスクがあり、どう回避するのか。安全は十分確保できるのか。 。 。 あらゆる側面で、大変難しいプロジェクトとなりました。
そのとき、幸いにも、日台スポーツ•文化推進協会が趣旨に賛同し、全面協力を頂けることになりました。代表理事の松本氏を迎えてアースリーソウルのスタッフと共同で「実行委員会」を結成することとなりました。 |
[チャレンジ前の記者会見] |
[チャレンジ前の記者会見] |
協会のご指導を頂いてからは、日本側と台湾側で、着々と問題解決が進みました。 日台双方からの支援者も日を追って増え、被災地からのスイマー参加も得て、みなさまの心強い支援の下、ついに実行当日を迎えることができました。 |
[スタート前に与那国島の子供達と] |
あとは近づく台風の進路を読み、決行を決断。大きくうねる太平洋の海原に繰り出していきました。
[安全管理のためカヌーが併走] |
[結果的に台風が「追い風」に] |
結果は。。。成功でした。
現地台湾での暖かいお出迎えと、成功をねぎらって頂いた台湾の方々の笑顔は、決して忘れることのできない思い出です。何より、日本の心からの感謝の気持ちを伝えることができました。そして、スポーツを通じて日本に、世界に貢献する、というアースリーソウルのミッションの一つを果たすことができました。
[東北3県の知事から預かった手紙] |
[ゴール時に「謝謝台湾!」] |
[3県知事のお礼の手紙を台湾外交部長(外務大臣に相当)に。手渡すのは被災地福島県相馬市のスイマー山田浩平氏] |
[台北でのセレモニー] |
[チャレンジメンバー] |
その後、この活動を経て、日台間のさまざまな活動に発展することになります。
また、この活動に対して、地球上で最も活躍した冒険家、挑戦者、社会貢献活動を表彰するサイバードグループ提供の「ファウストA.G.アワード」の最高の賞である「ファウスト・オブ・ザ・イヤー」、「ファウスト社会貢献活動賞」を頂きました。
黒潮を越え、台湾まで泳いだ 52時間の挑戦に密着 日本経済新聞 2011年9月30日付